2012年12月28日金曜日

思い出語りの会、終了。


思い出語りの会が好評のうちに終了しました。
210日からはこの会をもとにした展示会を開催します。
思い出語りの会がどのように進行されたかをレポートします。

2回目
テーマは小学生の頃の思い出。給食は戦後になってからのことで80代のみなさんはお弁当を持っていったり、お昼に一度家に帰っていたそうです。冬はお弁当をストーブに上に置いて温めていたそうです。漬物が変なにおいがしたという思いでが出てきました。
小学校の修学旅行はみんなお伊勢参りに行かれたそうです。お土産にお母さんに頼まれて生姜板を40枚買ったそうです。そのころにも枕投げはやっていたそうです。
お手伝い、洗濯について。洗濯板を使ってゴシゴシと。夏に黄色くなったご飯を袋に入れて水につけて、洗濯糊を作っていたそうです。蛇口の水道はないので細い川でゆすいだり、ポンプで水を汲んでいたそうです。家族の中で役割を持ってお手伝いをすることが大切だったのですね。

3回目

初恋がテーマということでしたが、戦時中の話や釘拾いから駄菓子屋の話、懐かしい食べ物の話と広がっていきました。Aさんは仕事先の阿弥陀象眼の工場にいた2〜3年の間の寡黙な男性との思い出。奥手だったので恥ずかしくてデートでは手を握らずただ歩いていた。Bさんは幼稚園からの幼なじみの同級生に片思いしたが気持ちも伝えなかった。働いている時に好きな人と映画を観に行ったり遊びにいったり。結婚が19才、終戦の年の917日。相手は茨木にいる親戚でパイロットをしていた。いやいや泣きながらだったが、嫁いだら軍隊の人だから食べ物があるとそれだけで行った。Cさんは外に働きに出ず家で洋裁の仕事をしていたので出会いはなかった。今のご主人が宮崎から下宿に来て、知らない間に結婚していた。みなさん戦争で買い出しに行ったりして恋している暇はなかったとのこと。恋愛結婚というのも珍しかったのだと知りました。

4回目
テーマは結婚と子育てでした。昔は花嫁さんの後ろに桐のタンスなどの嫁入り道具を担いだ人が付き従って町内を歩いていたそうです。
夫婦円満の秘訣という質問をしました。女が折れないと仕方がない。今は女が強くて男が弱いから捨てられる。昔は女が自活できないから辛抱していた。
子育てについて。みんな家で子供を出産したそうです。公衆浴場で乳の出が悪いお母さんの胸を産婆さんがマッサージしていた。母乳がたくさん出て張って痛くなることをさし乳と言う。そんな人は乳の出の悪いお母さんの子供にあげていた。同じ母乳で育った子供を乳兄弟と呼んでいた。夜泣きは辛かった。三宅八幡にはかん虫封じでよく通った。額に炭で点をつけて夜泣きをしなくした。昔は世話焼きおばさんがいっぱいいて、近所のみんなで助け合って子育てをしたというのが印象に残りました。

5回目
これまでで一番輝いていたのはいつですかという質問で皆さんからお話をうかがいました。Aさんはお子さんが小学生のころ。学校の成績もどうもなくて、親子四人で京都巡りをして、家族でいるのが楽しかったそうです。Bさんは今が一番幸せ。ずっと家族の看病をしてきたが、今は民謡行ったりカラオケ行ったり自分の時間があってとても楽しい。Cさんはご主人と出会ってからずっと。知らん間に結婚していたけどお互いに一目惚れで、今でも相思相愛です。Dさんは通っているデイサービスに亡くなられたご主人に体型から言葉から声までそっくりな人がいる。最近は休んでいて気になる。また別にカラオケを一緒に歌う男性もいる。まさに第二の青春。
次にこれからやってみたいことは何ですか?という質問。みなさんのお答えを。
Aさん息子と行きそびれたスイス旅行に行きたい。
Bさんカラオケ命。みんなも誘って周りを元気にしていきたい。
Cさん旦那と元気に仲ようやっていきたい。
Dさん恋をして、旅行して、ここで喋ったりして元気よくやっていく。
みなさんの今を楽しんでおられる姿に元気をいただきました。

6回目、7回目
若者からの悩みをみなさんに相談しました。
ここでの答えは2月に開催する展示会で発表します。
乞うご期待!

8回目

1回目から5回目までのお話をまとめた記念冊子をお渡しして、それを見ながら回を振り返りました。その時には出てこなかった新たなお話を聞くこともできました。会を振り返ったあと、全体で印象に残ったことを思い出しながらみなさんに俳句を作っていただきました。冊子の最後には会へご参加いただいたことへの感謝状がついています。会の締めとしてこの感謝状の贈呈式をしました。会を重ねるごとにみなさんが元気になっていき、いきいきと楽しまれていて大変に充実した会になりました。